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【禅の変遷、歴史】

 「禅を始めたのは誰か?」と言われると、広義では釈迦という回答になるのかもしれない。その悟りに至る内容をインドの弟子たちは受け継いでいったのではないかと思います。
その釈迦より28代目にあたる達磨大師によって、初めてインドから中国に伝えられたので、中国での禅は達磨大師が始祖と呼ばれています。日本の禅も中国禅からの流れであるため達磨大師を禅の始祖と呼んでいます。
 

禅イメージ画像

 


中国での禅

 5世紀の末に中国に渡った達磨大師は、今の洛陽にある嵩山少林寺(今は少林寺拳法などで有名です。)で、壁に向かって坐禅修行を開始します。有名は「面壁九年」の故事です。その後弟子に受け継がれた禅の教えは広まり、長安や洛陽などの中国北部で賑わった「北宗禅」と、中国南部で広まった「南宗禅」に分かれていきます。しかし「北宗禅」は次第に衰え、「南宗禅」を中心に禅は発展をしていきます。
十世紀(中国の唐の滅亡から北宋の成立のあたり)には隆盛を極め、五家七宗(臨済、曹洞[そうとう]、潙仰[いぎょう]、雲門(うんもん]、法眼[ほうげん]及び臨済宗の分派である楊岐[ようぎ]派、黄竜[おうりゅう]派)と言われる各派ができてきました。
 現在の中国は、宗教的なものは支配層の保護はなかなか得られなかったこともあり、下火になっているのが現状ではないか思われます。

日本での禅

 仏教が日本に伝来して以来、宗教としては釈迦の説いた経典などが教えの基本(教宗[きょうしゅう])となってきていた。禅宗はそれとは異なり、最終的な目的である悟りは、文字や言葉で表現することができない(不立文字:四聖句を参照下さい。)もので、体験するものであるという教え(仏心宗[ぶっしんしゅう])なので、当時の日本の僧侶からしてみれば、戸惑うものであったのかも知れません。
 飛鳥時代や奈良時代に遣唐使として渡った僧が日本に持ち帰ったり、唐からの僧が日本に伝えたりというように、禅の教え自体は日本にすでに渡っていました。また比叡山延暦寺を開いた最澄もまた禅を持ち帰っている。鎌倉時代初頭には日本達磨宗などができるも、中国からの禅の散発的な日本への輸入であったものと考えられます。

日本での禅の定着と発展

 日中間で線の動きであった禅の広まりを、面の動きに発展させて、その「新興宗教」を時の支配者の帰依を獲得し日本に定着・発展をさせたのが、日本で臨済の開祖といわれる栄西禅師であったと思います。
その30数年後、道元が曹洞宗をひらきました。
 またその後江戸時代には、中国からの隠元禅師が来日し、黄檗宗をひらきました。臨済宗、曹洞宗、黄檗宗が現在日本で禅宗と呼ばれている宗派となります。

各宗派の特徴

 まず、臨済宗では、公案と呼ばれる古人の文献や悟りに関しての言葉からとった問題を研究し悟りに向かおうとする「看話禅(かんなぜん)」という分類をされます。
この公案を重要視することから看話禅の中でも臨済宗は「公案禅」と呼ばれたりします。
 一方、曹洞宗ですが、公案を使うことはなく、ただひたすら坐禅をすることで坐禅を行うことで悟りにつながる(只管打坐[しかんたざ])という考え方から「黙照禅(もくしょうぜん)」と呼ばれます。
 黄檗宗はもともと臨済宗の流れであることから「看話禅」ですが、特徴として念仏を重要視する浄土宗と禅との一致を説くことから「念仏禅(ねんぶつぜん)」と呼ばれます。


 宗派により、作法なども若干異なりますが、各派とも最終的な目的は悟りの境地を得るということで、そのために必要な修行としての坐禅というものはブレがないところです。